11/22 公開研究会「音/サウンド研究の現在」

 ぎりぎりのタイミングでの告知になりますが、22日に立命館大学で開催される公開研究会「音/サウンド研究の現在」にて報告を行います。谷口はここ数年展開している「録音技術を駆使して制作されたレコード音楽は、現実世界とは異なるリアリティを持っている」という議論について、研究上の問題意識に重点を置いた解説をする予定です。
 

日時:11月22日(土)14:00~
場所:立命館大学衣笠キャンパス創思館303/304
内容:
14:00~15:00 レクチャー1
谷口文和(京都精華大学)「レコード音楽における音の空間性」
【要旨】 録音技術を駆使して制作された音楽、すなわち「レコード音楽」は、その場での演奏にもとづく音楽とは根本的に異なる表現形式を持っている。人はレコードの再生音から、その音が鳴り響くその場とは別の空間を感じ取る。また、映画やビデオゲームがそれぞれのメディアを介して非現実的な架空の世界を表現できるように、レコード音楽もまた、現実に音が鳴り響く空間ではあり得ないような音のリアリティを生じさせる。その点で、レコード音楽の「サウンド」は、物理現象としての音とは分けて考えることができるだろう。本報告では、レコード音楽における歴史的な空間表現の手法の変遷について作品例に触れつつ紹介した上で、レコード音楽的空間のリアリティのあり方について考察する。また、音楽研究における「サウンド」概念の扱いについても併せて紹介したい。
 
15:10~16:10 レクチャー2
源河亨(慶應義塾大学)「環境音と音楽の知覚」
【要旨】 本発表の目的は、非音楽的な環境音の存在論的身分とそれについての聴覚経験の分析を基礎として、そこから音楽知覚のあり方を検討することである。音の存在論としては、Casati and Dokic (2005)やO’Callaghan (2007)で提示された遠位出来事説(located event theory)を取り上げる。それによれば、音は音波ではなく、音源となる物体の振動(あるいはそれに準ずる出来事)である。もし音源が物体の振動と同一であるなら、音は空間的位置をもち、また、視覚や触覚によっても捉えられるようなマルチモーダルな対象であることになるだろう。こうした帰結は音楽的な音の場合にも引き継がれると考えられる。つまり、音楽も空間的位置をもち、複数の感覚モダリティによって捉えられる対象であることになる。本発表では、上記の立場を擁護するだけでなく、その立場が音楽鑑賞の実践に対してどのような帰結をもたらすかについても検討したい。
 
16:20~18:00 フリーディスカッション

 
 ご一緒する源河亨さんは知覚の分析哲学がご専門で、今回はこの分野でも一定の蓄積のある「音の知覚」に関する議論を、さらに音楽の方に引き付けた話をしていただけるようです。
 分析哲学における音の存在論には基本的に「音とは空気を伝わって耳に届く音波のことである派」と「音は物体(音源[1])の振動もしくは物体が振動するという出来事である派」があり、両者が綱引きのように互いの問題点を検討することで議論を洗練させています。源河さんは「音源派」の立場から議論を展開していますが、これは谷口が(直観にもとづいて)依拠している考え方でもあります。今回の研究会ではそうした共通点に着目してコーディネートしていただけたものと推測します。 後半のディスカッションが盛り上がりそうなので、報告自体は数年前に『RATIO』に掲載された「レコード音楽がもたらす空間 ―― 音のメディア表現論」の内容を、音を流しつつ解説する程度にするつもりです。成り行き次第では、いろいろなタイプの音楽を行き当たりばったりに流しながら、会場の皆さんと一緒に考えたりもしてみたいところです。


Notes:

  1. ところで、この「音源」という語は近年もっぱら、音声データやそれを記録した媒体を指して用いられる。一方で聴覚心理学などの分野では、振動を発する物体のことを「音源」と呼ぶ。何かと紛らわしいので、僕は後者の意味では「音の発生源」という語句を使うようにしている。

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